国分寺から宇宙

60年目、伝えたい想いがある。
日本の宇宙開発の出発点がここにある。

想いを受け継ぐ 国分寺市

宇宙イメージ

今から60年前の1955年(昭和30年)4月12日、日本初のロケット発射実験がこの地で行われました。舞台に選ばれたのは、国分寺駅からほど近い、かつて「南部銃」を製造していた新中央工業株式会社の銃器試射用ピットでした。そこには現在、早稲田実業学校が建っています。

国分寺での水平発射実験から始まった日本の宇宙開発は、糸川教授を中心とする東京大学の研究者をはじめ、それを支えた行政機関や技術者らの、困難に屈しない熱い想いと地道な努力によって、今日に通じる道を歩み出しました。

今でこそ、「はやぶさ」による小惑星の微粒子回収やイプシロンロケット等で世界でも注目を集める日本の宇宙開発ですが、ロケットを「ゼロ」から生み出さなければいけなかった当時は、開発コストばかりが目立ち、協力も得にくい状況でした。しかし、米ソを追い抜くためには「日本独自の技術によるロケット」を生み出すしかないと考えた先人たちは、決して諦めませんでした。

「逆境こそが人間を飛躍させる」(糸川)
この言葉のとおり、困難な状況下たった23㎝のペンシルロケットの飛翔から60年。今や日本は世界の最先端を走るまでに至りました。

一人の類い稀なリーダー糸川英夫教授のもと、関係者全員が「国産ロケット開発」という壮大な目標に向け、互いの技術と能力を尊重しながら、一丸となって成し遂げたその精神は、ずっと日本の宇宙開発の現場に受け継がれています。ペンシルロケットはその象徴なのです。

60年間、受け継がれてきた「想い」があります。ここ国分寺で芽生えた日本の宇宙開発と先駆者たちの「想い」を、未来を担う子どもたちに受け継いでいくことが、宇宙開発発祥の地「国分寺市」の使命であり、誇りでもあるのです。みなさんにも、その「想い」を未来へと語り継ぐ一人になっていただけたら幸いです。